マオリに関する展示には、 すべてが新鮮 かつ 珍しいものばかりで、思わず目を奪われてしまいました。
広い博物館の中には、 実物大のマオリの住居や 集会所 ( マラエ ) の建物などが再現されていました。
画面には、 団長飯沼先生がいて、 その後方の大きな男性は 私たちの交流をニュージーランド側の窓口となって 現地での受け入れ態勢や企画を 全て整えてくださった 将軍ボドレー氏 ( 故人 ) です。
この方無くして、 学園とオークランド教育大学との交流 ( 相互訪問 ) の継続は無かったと言われています。
隣の女性は アチスンさんと言い、 私たちのツアーに同行し 献身的なお世話をしてくださいました。
彼女は、 八柱幼稚園で英語を教えてくれた経験もあります。
ニックネームは、 ミニちゃんでした。
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ワカ ( カヌー )の展示は圧巻でした。
マオリ独特の彫刻が施され、 色彩も独特でした。
中には、 戦闘に使われる 神聖なるワカ・タウア ( 戦争用カヌー ) も展示されていました。
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植民地時代と呼ばれる時代には、 マオリ族は そのカヌーで ヨーロッパからの 侵略者と勇猛果敢に戦ったのでしょう。
しかし、 その後 誇りと尊敬、 忠誠心と協力を信条とする マオリの人々の苦難の時期が続きます。
1975年以降、 ワイタンギ条約 ( 1840年 イギリスの植民地となる ) の運用見直しが図られ、 マオリの人々の立場や権利が見直されることになり、 その後 マオリの人々は 徐々に名誉を回復し、 和解の道へと向かって行きました。
その年は、 八柱幼稚園創立の年でもあり 覚えやすいですね。
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ラグビーのオールブラックスによって、 一躍世界の注目を浴びたのが マオリの戦いの踊り 「 ハカ 」 でした。
私たち研修団も、 女性の先生たちが国内でハカの練習を積んでおり、 いずれ歓迎レセプションで 披露することになりました。
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実は、 この年の前にも、 八柱学園は ニュージーランドに研修団を派遣していましたし、 大学側からの日本研修団の受け入れも既に経験済みでした。
交流の成果により、 八柱幼稚園は オークランド教育大学の名誉附属幼稚園という称号をいただくことになります。
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さて、 現在 筆者の手元には、 ニュージーランド研修団に関する資料 ( 特に写真資料 ) が非常に少ないため、 今後 きちんと探し当て よく確認しておく必要があります。