きょうは、いろんなことがありました。
それから、
先生のお顔を描いたのは年中さん
じょうずに描けたね!
💖
良い子の皆さん、
今から28年前のきょうのことです。
このあとは、少し難しいお話しになります。
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阪神・淡路大震災が発生し、数多くの人が亡くなり、ビルや家が次々に倒れ、街中が火の海になり、何もかもが燃えて 無くなってしまいました。
大切な人(家族・友人・知人・恋人など様々な人)を失った悲しみは、いつまでたっても消えることはありません。
先日、私たちの幼稚園では大地震と火事の発生を想定した「避難訓練」を行ったばかりですが、
災害は、いつ何時襲ってくるのか予測できません。
だからこそ、突然の災害に備えて、日頃の訓練を怠ってはいけないのです。
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私は、あの時(28年前) いてもたってもいられなくなり、幼稚園の仕事を無理やりに休んで、ボランティアで神戸に行きました。
救援物資を積んだ大型トラックのドライバーとなり、夜の東京代々木を出発しました。
夜間走行では緊張を強いられました。
危険な箇所を走行した時は、身がすくむ思いでした。
半分崩れた高速道路も走りました。
◇
神戸は、言葉ではとても言い表せない大変な状況になっていました。
祈りをささげる事すら虚しさを感じるほど、街がめちゃくちゃになっているところがたくさんありました。
私は、現地で自分一人では何もできないことを悟り、無力さを感じました。
けれど、
人が集まれば、それが力を生み出し 前に進む原動力になりました、
私たちは、出来る事を必死になってやり続けました。
一度、神戸から八柱幼稚園の先生たちに手紙を書いたこともありました。
◇
私は、小学校に寝袋を持参して寝泊まりさせてもらいました。
冬の神戸は寒かったです。
思い出すのは、
寒空の下 一晩中 たき火を燃やし続け 夜通し語り合ったことです。
話題によく出てきたのは、子供たちや若者の未来についてでした。
私たちは、時間ある限り真剣に話しました。
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夏の神戸は暑かったです。
炊き出しの料理が時間を置くと悪くなりました。
結局 私は、短期間、長期間に分けて、三度神戸を訪れボランティア活動に従事しました。
活動内容については、また機会があればご紹介したいと思います。
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きょうは、園長先生と あの時のことを思い出しながら しばし語り合いました。
「あの時は、本心を言えば 自分も一緒に行きたかったのです。」
「その気持ちは 私も強く感じていたし、でも固い握手で送り出してくれて本当にありがたかった。」
「現地に着くまで、どれくらいかかったんですか?」
「夜、代々木を出て 途中休みながら一晩かけて走り 着いたのは早朝でした。」
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6434人が亡くなった阪神・淡路大震災。あれから28年経ったきょう、1月17日に各地で追悼の祈りがささげられました。
合掌
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